Aug 16, 2009

「俊寛」

このお盆休みに、久々に芥川龍之介を2冊読みました。
2冊とも新潮社文庫で、「羅生門・鼻」「蜘蛛の糸・杜子春」です。
先日、中島敦の紹介をしましたが、短編の日本一はやはり芥川でしょう。べたですが。
2冊ともいいですねえ。特に「羅生門・鼻」は全部いいですよ。

ただ、彼は長編は書けなかったらしいです。
「羅生門・鼻」の中に収められている「邪宗門」。面白いです。読ませます。
ただ、未完です。途中で収拾がつかなくなってしまったらしいです。途中でやめちゃったみたい。
やっぱり、短編と長編の才能は別なんですね。

さて、芥川龍之介の短編にはずれはあまりないのですが、その中でも僕が好きなのは「俊寛」です。
これも「羅生門・鼻」に収められています。
実はあまり評価の高くない作品らしいんですけどね。でも僕は好きです。
初めてこの作品を読んだのは仙台にいたときでした。10年位前です。

そのときの風景ははっきりと覚えています。仙台駅前の喫茶店かなんかでした(さすがに店は忘れましたが)。
晴れた夏の日で、窓際のカウンター席で、ブラインドがかかってて、少し薄暗かったと思います。
僕はこの「羅生門・鼻」を楽しんでいました。そして、この本の最後の短編が「俊寛」です。
ものすごい衝撃でした。体に電気が走ったみたいでした。
なんなんでしょうか?なんでなんでしょうか?僕にもよくわからないのです。
なんにせよ、不思議な感覚だったことを覚えています。

さて、その「俊寛」。いつものように、少しだけ抜粋してご紹介します。
内容は・・・・・・秘密です。ぜひ読んでみてください。
 
  
   俊寛様は御文をお置きになると、じっと腕組みをなすったまま、大きい息をおつきになりました。

「姫はもう十二になった筈じゃな。――おれも都には未練はないが、姫にだけは一目会いたい」

私はご心中を思いやりながら、唯涙ばかり拭っていました。

「しかし会えぬものならば、――泣くな。有王。いや、泣きたければ泣いても好い。しかしこの娑婆世界には、一々泣いては泣きつくせぬ程、悲しい事が沢山あるぞ」

 御主人は後の黒木の柱に、ゆくり背中を御寄せになってから、寂しそうに御微笑なさいました。

「女房も死ぬ。若も死ぬ。姫には一生会えぬかも知れぬ。屋形や山荘もおれの物ではない。おれは独り離れ島に老の来るのを待っている。――これがおれの今のさまじゃ。が、この苦艱を受けているのは、何もおれ一人に限った事ではない。おれ一人衆苦の大海に、没在していると考えるのは、仏弟子にも似合わぬ増長慢じゃ。『増長驕慢、尚非世俗白衣所宜』艱難の多いのに誇る心も、やはり邪業には違いあるまい。その心さえ除いてしまえば、この粟散辺土の中にも、おれほどの苦を受けているものは、恒河沙の数より多いかも知れぬ。いや、人界に生れ出たものは、たといこの島に流されずとも、皆おれと同じように、孤独の歎を洩らしているのじゃ。村上の御門第七の王子、二品中務親王、六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、こう云う俊寛一人じゃが、天が下には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されている。――」

 俊寛様はこうおっしゃると、たちまちまた御眼のどこかに、陽気な御気色が閃きました。

「一条二条の大路の辻に、盲人が一人さまようているのは、世にも憐れに見えるかも知れぬ。が、広い洛中洛外、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王。お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。十方に遍満した俊寛どもが、皆ただ一人流されたように、泣きつ喚きつしていると思えば、涙の中にも笑わずにはいられぬ。有王。三界一心と知った上は、何よりもまず笑う事を学べ。笑う事を学ぶためには、まず増長慢を捨てねばならぬ。世尊の御出世は我々衆生に、笑う事を教えに来られたのじゃ。大般涅槃の御時にさえ、摩訶伽葉は笑ったではないか?」

 その時はわたしもいつのまにか、頬の上に涙が乾いていました。すると御主人は簾越しに、遠い星空を御覧になりながら、

「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい。」と、何事もないようにおっしゃるのです。



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