”温暖化防止をめぐる国連IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書の内容に疑念が生じてきた。”
とのことです。どういうことかというと、IPCCが2007年に採択した第4次報告書の中に「温暖化の影響でヒマラヤの氷河が2035年に溶けてなくなる」という記載があるらしいのですが、
”英紙『サンデー・タイムズ』が第4次報告書を調査した結果、ヒマラヤ氷河消滅説に科学的根拠がなかったことが判明した。”
”IPCCは「科学的な立証を十分行わずにヒマラヤ氷河消滅説を記載した」と謝罪。”
だそうです。
おいおいと思いますね。昨日の新聞なんかでも関連記事が載っていましたね。例えば、
IPCCが謝罪したということは、科学的根拠もなく上記記載をしていたというのは本当だということですね。
なんてこった。ということは、この『ヒマラヤ氷河消滅説』だけでなく、他の記載すべてに対して疑惑の目が向けられることになります。そういうものです。
IPCCは2007にゴア氏と一緒にノーベル平和賞を受賞した団体です。
その受賞理由は”人為的に起こる気候変動についての知識を広め、その変動を打ち消すために必要な処置の基盤を築く努力”
なのですが、その前提が怪しいとは・・・。
なんでこんなことが起こったのか、ちょっと長くなりますが、大事なので抜粋しておきます。僕のあいの手も入れます。
”IPCCの第4次報告書は3段階を経てまとめられている。第1段階は3000ページもの分量があり、すべての内容について科学的根拠が「精査されているわけではない」(IPCC関係者)という。(おいおい、精査しようや。根拠のないものを通してもしょうがないやろ。この段階ですでに間違えていますね。)
執筆者と異なる複数の科学者が論文評価者として1000ページずつを担当して一読し、コメントを加えたものが第2段階の技術報告書として300ページに絞り込まれる。(少なくとも、論文であれば、なんらかの主張に対して科学的根拠は示されているはずです。そうでなければ、論文評価者をパスすることはできないと思います。少なくとも、「根拠が薄いから、追加しなさい」とか言われると思うんですが。やっぱり、1000ページを読むのは大変すぎるんでしょうかね。ここに力を入れないとやっぱりダメよ。)
そこから各国政府も交じって(なんで、各国政府が?)1文ごとに精査し、合意できた部分が60ページの最終報告書となる。(つまり、各国政府の主観が入るってこと?なんか、きな臭いな)つまり、最終報告書の段階で、はじめてすべての記載内容が科学的根拠に裏付けられるわけだ。(よくわからん。最初に学者が読んでるやん。最終報告書の段階では、各国政府の思惑が入って、科学的根拠をスポイルしてるんではないのか?)ヒマラヤ氷河消滅説も第1段階の報告書にはたしかに記載されていたものの、最終報告書には「1行たりとも記されていない」(論文評価者)(はい?)
しかしながら、問題なのは、ポスト京都の国際交渉では、3000ページある第1段階の報告書に記載された論文を引っ張り出して”科学的根拠”のあるデータだと各国が主張していることだ。(各国が入るのは第2段階からでは?なんで第1段階を各国が引っ張り出してくるの?)
世界各国がポスト京都の国際交渉でIPCC報告書の”科学的根拠”を前提に置くなら、最終報告書に基づくべきだ。(アグリーします。っていうか当たり前。でないと、何のために絞り込みをやってんのかわからん)第1段階の報告書に固執するなら、今一度、すべての内容を精査する必要があるだろう。”(違うやん。第1段階の報告書はもう認めたらダメやろ。)
なんか、僕のコメントが長くなって、読みにくいですね。すんません。
なんにせよ、報告書には科学的根拠が絶対必要。それが示せないならば、主張したらダメ!
言うまでもないですわ。
まあ、僕はそもそも人為的に起こるドラスティックな気温変動自体に懐疑的ですし、二酸化炭素が悪者になっていることにも懐疑的です。
「ホンマか?言いきれるんか?」って感じです。
まあ、可能性があるならば、二酸化炭素の排出量を生活に影響を与えない範囲内で抑えることには反対はしないけど、二酸化炭素を排出するものは悪、あるいはリサイクルしない人は悪、みたいな一方的な押し付けは大嫌いです。
できる範囲で、やって意味のあると思うことをやればいいのではないでしょうか?
押し付けておいて、「根拠はありませんでした」では、疑うことなくおとなしく従っていた人が馬鹿をみるやんか。
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